我がうた(短歌)に寄せて

老いるということ


「こら腰め大人しくせよ」とおどけるも僅かの坂に悲鳴をあげる
車椅子の老々介護か二人連れ曲がりし背(せな)に我が身重ねる
我が耳は絶えず秋なり蟲すだく医師はさらりと加齢と告げぬ
夫(つま)と行く仲良しドライブ行く先はまたかまたかのお医者様
何ごとも経験せねばわからぬと齢(よわい)重ねて初めて知りぬ

 

私は60歳の半ば頃まで腰痛には無縁だった。それが10数年ほど前から 「脊柱管狭窄症」「腰椎すべり症」「両変形性膝関節症」「頸椎症」等々有難く ない病名をたくさん頂戴し、腰痛、足痛、膝痛、手足のしびれなどに毎日のように 悩まされている。どれも老人に多い病気である。

特に、最近は抜けない草を無理に手で引っ張り、草が抜けると同時に後ろにひっく り返ったり、年上の知人が「けんけんができなくなった」と嘆いていたので、4歳 も年下ならできるだろうと試してみたりと、馬鹿なことをやっては病状を更に悪化 させている。

今年の夏は殊の外暑かったので、痛みと暑さをよいことに引きこもっていたら、痛み は徐々に良くなったものの、ちょっとした段差も何かにつかまらずには歩けなくなっ たり、椅子に座っていて立ち上がる際よろけたり……、思ってもみなかった筋力の衰 えに愕然とした。

幸い良い医師と理学療法士の先生に恵まれ、膝に注射をしたり、水を抜いてもらった りして、筋トレやストレッチなどを続けた結果、階段も普通に上ることができるよう になった。しかし、腰痛はしつっこく、平坦な道は普通に歩けるが、ちょっとした勾 配があると、杖なしでは歩くのが苦痛になってきた。

私の義叔父は温厚な性格で、私がたまに叔父の家を訪れると、いつも「おお、Tちゃん 来たかや。」と、ニコニコしながら迎えてくれるのが常だった。私は伯父の不機嫌な 顔など一度も見たことがなかった。ことほど左様に家でも外でも怒ったりすることは 皆無に等しかった。 仕事ではトップにまで昇りつめた人だが、決していばったりなどせず、誰に対しても 平等に接する度量の大きな人だった。
「Mさんみたいな人は珍しいわね。」と母が感心するほどよくできた人だった。

そんな叔父がまだ60台の後半に体調を崩し、ある大きな病院へ行った。若い医師に 「Uさんは僕の2倍以上生きてきたのだから、体があちこち傷むのは当たり前ですよ。」 と、医師にあるまじき患者の命を軽んじる態度で、あたかも病が不治であるかのような 言い方をされたとかで、家に帰って来るなり「もうあそこの病院へは二度と行かん。年寄 りを馬鹿にするにも程がある。人を何だと思っているんだ。」と、かんかんになって怒っ たそうだ。

ここまであからさまに言わなくても、老人の病気を歳のせいにする医師は世の中には 多いようである。問題は医師の言い方と人柄かもしれない。 私が耳鳴りでかかった医師は、いろいろな検査をした後「年ですな。まあ、気にせず仲良く つきあうことですな。」と言ったが、この医師の言い方にはどこか温かいものが感じられ、 嫌な感じは受けなかった。

歳を重ねるとマイナス面が多くなるが、歳をとって初めてわかることも多々あり、若い頃 に分からなかったことの謎解きもでき、私は時々嬉しくなるこさえある。
これまで私はたくさんのことを経験し、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、苦労したりし てきた。人は苦労の数だけ成長できるとよく言われるが、私が若い頃は世間知らずで、今 考えると、穴があったら入りたいようなことがいっぱいあった。それらを少しずつ修正し ながら生きてきたことが、私なりの成長と言えば言えるかもしれない。


老いてみてわかったこと

  • 経験してみて初めてわかったことが多いこと。しかし、気がついた時には「時すでに遅し」 と自責の念に駆られることが多々あること。
  • 他人(ひと)の心のいたみや悩みに共感でき、少しでも他人の気持ちに寄り添い、 話をじっくり聞いてあげることが最良だと気付いたこと。
  • 自分がされて嫌なことは、絶対に他人に対してしないようにすること。
  • どんな些細なことにでも感謝の気持ちを持てるようになったこと。
  • 老いを情けないと思うこともあるが、それらをありのままを素直に受け止めること ができるようになったこと。
  • 残り少なくなった命をいとおしく思うこと。(叔父の怒りがよくわかる)
  • 若い時には想像だにしなかったことが、次から次へと起きること……。

来年はどんな年になるのだろうか?世の中の動きに、不安を感じるこの頃である。何より も世界中の人が安心して暮らせる世の中であって欲しい。

私の来年は「またかまたかのお医者さま」は変わらないかもしれない。持病とうまく折り 合いをつけながら、できる限り様々なことに興味を持ち、生活面では人に頼らず、頭と体 をほどほどに使い、そこそこ健康で過ごせたら、これ以上の幸せはないと思っている。

何はなくても健康が一番です。来年もみな様にとってよい年でありますように。

2018/12/20    




ノリウツギ:サビタの花その後


以前ノリウツギのことを書いた時に、 この花には次のような悲しい伝説があることを紹介しました。

『あるアイヌの若者が美しい娘に恋をしました。恋心を打ち明けられた娘は「このサビタの花が散る時が来たら…」 と返事をします。 若者は「サビタ」の花を毎日のように眺めては、その時が来るのを待ち焦がれていました。 しかし、 花は枯れ果てても、落ちることはなかったのです。悲しいかな、若者の恋は実らなかったのです。』

 
(写真の上でクリックすると拡大できます)

先日、そのサビタの花を見てみました。右の写真のように変わっていましたが、やはり散らずに残っていました。 美しい娘は若者の恋心を初めから受け入れるつもりはなかったのです。

サビタの花はアジサイの花同様、散って落ちることがない花なのです。多分来年、次の花が咲いても その場にとどまっていることでしょう。

残念ながら、その様子をお知らせすることができなくなってしまいました。家人がこの枯れた花を 知らずに切ってしまったからです。一言足りませんでした。忘れん坊さんのやりそうなことです。

2018/11/14    



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はじめまして


はじめまして。
ちゃたーさんと共に、ブログを始めることになったライラックです。

私の十八番(おはこ)は物忘れです。知っているはずの人や物の名前が出てこないのは日常茶飯事。 お片付けをすればしまった場所を忘れ、探し物のために無駄な時間を費やすのも日常茶飯事です。

物事にとりかかるのは遅いのですが、いったんやり始めたことはとことんやらないと気が済まないところがあります。 本を読み始めれば、夜中の1時や2時になっても眠くならないのも得意ですが、睡眠時間が短くなるので、 この頃は夜の読書はやめています。

ちょっとした趣味かもしれませんが、数年前から古文書を読むことに興味を覚え、 岩瀬文庫の古文書講座にはできるだけ出席するように心がけています。 そのほか、落語や音楽を聴くことも好きです。


これからちゃたーさんに教えていただきながら、HTML言語を使って、 このブログ?をアップロードしていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

2018/11/1